菅家さん冤罪事件(足利事件)

足利事件として知られている世紀の冤罪事件が、今から20年ほど前に足利市で発生しました。
当時は、「遂に犯人が捕まった」。市民の誰しもがそう思いました。しかしながら17年半の歳月を経て、その人は犯人ではない、つまり無罪であることが事実上確定し刑務所から釈放されました。
その日のブログで私は以下のように記しています。

いわゆる足利事件で無期懲役判決を受けた菅家さんが申し立てた再審請求の即時抗告審で実施されたDNA再鑑定で、菅家さんとは別のDNA型が検出されたことを受け、東京高検が刑の執行を停止した。
要するに菅家さんは犯人ではなかったということだ。
無実の人が汚名を着せられたまま17年半も刑務所に押し込められていたという事実はあまりにも重い。
確か96年か97年ごろだったと思うが、「菅家さんは無実です。これは冤罪です」というビラを作って配っている方がいた。
その方の名前は今も覚えている。
恥ずかしながら、当時は、何を言っているんだ?という感じでしか受け取れなかったし、時代の空気もそうだった。
しかし、である。
その方は、菅家さんの無実を晴らすためにあきらめずに運動を続けていたのだ。
おそらくそうしたサポートが菅家さんの背中を押し続け、今日の結果を導き出したのだろうということは想像に難くない。
近いうちに、菅家さんは足利に来られることと思う。
私は足利市を代表して心からお迎えしたい。
そして、陰で支えて来られた方々にも心から敬意を表したい。
お待ちしています!

菅家さん(右)と西巻さん(左)
菅家さんと記者会見

そして、このブログを菅家さんの顧問弁護士がご覧になり、菅家さんが足利市役所を訪問されることになりました。
足利市としては、菅家さんは突然釈放されたのですから住まいの面と仕事の面でお困りになっているだろうと容易に想像がつきますので、市営住宅をあっせんしまた臨時職員としての仕事もいくつか紹介をさせていただくことにしました。

6月17日午後2時、菅家さんが市長室にお越しになった。
私は「足利市を代表して心から歓迎します」と申し上げた。
そして、市として市営住宅のあっせんと来年の4月よりスクールバスの運転手としての仕事等の用意があることもお伝えした。
菅家さんはとても喜んでくださった。本当に気持ちがこもっていた。
何かこちらまで目頭が熱くなった。
これからこの足利の地で心穏やかに過ごしていただけるよう市としてできるだけのサポートをしていきたい。
そして、菅家さんを最初から支えてくださった西巻糸子さん。
あなたの地道な活動が菅家さんを救いました。
時代の空気に流されない真実を見極める能力、そして10数年に渡り菅家さんを励まし続けた粘り強い努力。
とても真似できるものではありません。
佐藤弁護士も語っていましたが、”あなたは足利市の良心”です。
ありがとうございます。
それにしてもその佐藤弁護士はよくしゃべる人だ(^^)
それは足利事件とは関係ないだろうということまで(_ _)
弁護士とはこうでなくてはならないものかもしれないが、やはりこの方の貢献も特筆すべきものがある。
菅家さん、いつでもお待ちしています!

以来、菅家さんとは何度かお会いし、そうした中で菅家さんの抱える悩みや苦しみの深さに気付かされました。
PDSTという医学用語がありますが、これは心的外傷後ストレス障害と訳されています。要するに外的に強いストレスを受けた場合に精神的な後遺症が残る症状のことをいいますが、菅家さんもこれに近い症状があるようです。
夜ひとりの時に急に涙が出てしまうというお話も聞きました。どこか理由もなく不安な気持ちになってしまうのでしょう。私は専門家ではありませんが、何らかの心理面でのカウンセリングが必要と思います。
しかしながら、国の法律では、犯罪被害者を救済するための法律はありますが、冤罪被害者を救済する法律がありません。
そもそも冤罪の被害者がでるということを想定していないのでしょうが、現実には人間がすることである限り冤罪はなくならないのでしょう。
その意味では、国として速やかな法整備を進めるべきと考えます。
さらには、本質的な問題は事件の犯人は一体どこにいるのかということです。
この両毛地区で起こった類似の幼児誘拐事件は5件あります。今年4月27日に成立した法律によって95年4月28日以降に発生した殺人などの凶悪犯罪の時効が廃止されましたので、96年7月7日の起きた5件目のゆかりちゃん誘拐事件は今後も時効にとらわれずに捜査を継続していただけることになります。
是非、捜査当局におかれては真犯人を見つけ出していただきたいと念願します。

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