就任1年を迎えて

おかげさまで「改革の本丸は行政改革です」そうお訴えをして当選してから1年が経過しました。
これまでの政治活動の中で昨年の市長選ほど印象深いものはありません。
まさに時代が動くというのはこういうことなのかと思い知らされる選挙となりました。
例えば、支援者宅でミニ集会をさせていただくと、どこも溢れんばかりに人が集まってくださっています。
街頭演説では、多くの方が車の窓から手を振ってくださいます。
支援者も、
「(総決起大会の会場として)市民会館でも足りないかもしれない」
そんな話までし始めます。
実際、これまで集められないので一度も開催したことのなかった市民会館(約1600人収容)できる市民会館で総決起大会を開いてみると、なんと立ち見まででる満員御礼で実に延べで2500人もの方がお越しくださいました。
根拠はありませんが、肌感覚で私と共に選挙戦に携わってくださった方々はそんな上げ潮ムードの予感を感じていたのだと思います。
もちろん、当時与党であった自民党を覚悟をもって離党した渡辺喜美代議士の支援もプラスになりました。

まさに時代が後押しをしてくれたのです。
国も地方もしがらみの強い政治があまりにも長く続き過ぎたが故に、結果として閉塞感がみなぎり、有権者がとにもかくにも変化を求めているのは明らかでした。実際、この年は私だけでなく三重県の山中光茂松阪市長、埼玉県の松本武洋和光市長、奈良県の仲川げん市長ら私よりも年下の若手市長が大勢誕生しています。そうした方々の特徴は、”しがらみがない”というところです。実際、いわゆる自民・公明・民主など既存政党の組織丸抱えではない形で当選を果たした方が大半です。有権者つまり国民が、そうした政治家を求め始めているということがいえると思い ます。

そして2009年5月13日。
足利市の新しい扉が開き、私の市政改革が始まりました。詳細は後述しますが、就任早々私はまず、市職員の方々への訓示として執務指針と4つの経営方針を申し上げました。
以下要約を記します。

『はじめに執務指針ですが「まずは市民への感謝から」とし、全ての市関連の公共施設に掲げました。
申し上げるまでもなく、政治や行政が機能しているのは、そのための原資である税金が市民のたゆまない努力によって納められているからにほかなりません。
つまり、政(まつりごと)を司る者は、常に市民に感謝する気持ちを忘れてはならないということです。もちろんこれまでもそういう意識はあったと思いますが、今回私が就任させて頂くにあたり、是非その点を職員の方には再認識していただきたいと思います。

まずは市民への感謝から
次にこれからの足利市の経営方針を4点申し上げます。
ひとつは、「選択の自由が幅広く保障されている社会」です。
小学校の50m競争で誰でもスタートラインに立てるのと同様に、例えば役所の入札についても一定の基準を満たせば誰でも土俵に上れるチャンスは広く提供さ れるべきなのです。社会の活力とはそうした選択の自由が幅広く保障されることによって生まれてくるものなのですから、ぜひそういう方向であり方を見直して いきたいと思います。
二点目は、「がんばった人が正当に報われる社会」です。
象徴的な例は役所の人事です。エスカレーター式に年功序列で昇進することの弊害は明らかです。もっと成果を上げた人が、年齢に関わらず管理職の衆目の一致 を見て、昇進できる仕組みに変えたいと思います。
三点目は、「子供にツケを回さない社会」です。
これまでのように歳入・歳出の帳尻が合わなければ、借金をする・増税をする・市民の負担を増やすというやり方ではなく、帳尻が合わなければ歳出をカットし て合わせていくという方向で、子供にツケを回さない社会を作っていきたいと思います。
昔のように潤沢にお金があり「あれもこれも」できた時代ではないのですから、いかに少ない予算で優先順位をつけ「あれかこれか」という視点から創意工夫を していかなければなりません。ともに知恵を絞っていきましょう。
四点目は、「利他の精神を尊べる社会」です。
これは横文字でいえばボランティア精神のことです。
人であれ、自治体であれ、国であれ、成熟したものは「今さえよければいい、自分さえよければいい」という利己的な発想ではなく「他者への配慮やいたわり」 という気持ちが自然と表れてくるものです。あの戊辰戦争時の長岡藩の「米百俵」に象徴されるとおり、足利市も厳しい時代だからこそ、「利他の精神」という ものを社会の総意として広く醸成していきたいものです。
以上の4点を踏まえ、公の奉仕者として貴重な税金を納めてくださる市民の方々への感謝の気持ちを忘れずに、すべては足利市民のため にという視点で、これまで以上に公平・公正で活力に満ちた行政運営を心掛けて参ります。
市職員におかれましても、そうした民意をご理解いただき、これからの足利市をよりよくしていくために一層の奮励努力をお願いして訓示とさせていただきます』

そしてもうひとつ、市長就任直後に忘れられない出来事がありました。
そうです。足利事件です。
冤罪被害者である菅家利和さんとの出会いは生涯忘れることはできません。菅家さんが6月4日に千葉刑務所を釈放され(最終的な再審の判決がでていないにも関わらず、司法の判断で犯人とされた人が釈放されるのは未だかつてない異例の事態です)、足利市に戻ってきたいというお話を承ったので、私がブログで「ぜひ足利にお越しください。お待ちしてます!」と表明したのがきっかけで菅家さんと面会することになり、以来、何度か菅家さんとお会いしてこれまでのいきさつを聞くにつけ、深い同情を禁じ得ないものがありました。
政界の場合、例えば選挙では(残念ながら)誹謗中傷は当たり前で、場合によっては犯人扱いまでされかねません。当然、候補者はそんなこと覚悟の上で戦っているものです。しかしながら、菅家さ んのような一市民として平穏に暮らしていた方がある日突然身柄を拘束され、事実無根の誹謗中傷をされるというのは頂けません。
今年の3月26日に無罪が確定し、菅家さんは名実共に晴れて自由となりました。今後とも故郷である足利市で心穏やかにお過ごしされることを願っていますし、足利市としてできうる限りのサポートをさせていただいております。

司法も大きく変わってきました。そしてまた政治もしかりです。
日本全体がまさに時代の大きな変換点になっているともいえます。

そうした時に政治がやらなければならない課題は明らかです。
「有史以来、一番強いものが生き残ってきたのではなく、変化に適応しできたものが生き残ってきたのだ」というチャールズダーウインの言葉を引き合いに出すまでもなく、今の日本はこの大きな時代の変化に適応しなければならないのです。
中でも特に地方自治体に大きく影響を及ぼす構造改革は道州制の導入は喫緊の課題です。
明治時代に確立された都道府県制度は、21世紀の今時代遅れになっています。
馬車を曳いて情報を伝達した時代からIT技術の推進で瞬時に情報が交換される時代になったのですから。

さらには地方が国を動かすということも必要な時代になってきました。
例えば、子ども手当。
明らかに地域主権と逆行することを政府・民主党は平然と行っています。
さらに言えば、子ども手当は恒久財源も確保されていませんから子供を増やすインセンティブになりませんので少子化対策にもつながりませんし、給食費や保育料を滞納している世帯にも満額振り込むような制度になっており規範意識を崩壊しかねません。そうした 不備が多く見受けられます。
そこで、我々首長として、国に対してはっきりとものを言っていこうということになり、現場から国を変える首長の会を立ち上げました(今日現在で参加首長は35名)。

明治維新が地方からの発意で動いたように、国政は混迷を深めるばかりであり、今や自治体側が地域主権そして道州制の実現に向けて国を動かして行かなければならない時代だということを痛切に感じます。
そうした時代認識を共有する多くの首長らと共に、その時代が求めている役割を果たして参ります。

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