行政主導から政治家主導引いては国民主導の政治へ

投稿者: | 2026年5月23日

2026年5月11日、北陸新幹線の延伸に関する決起集会での国交省の局長が「自ずと結論は決まっている」などと小浜・京都ルートを支持するような発言をして物議を呼びました。
それを受け前原誠司氏ら維新側は「着工5条件および現在進行中である8パターンの再検証そのものを、当局自ら否定する暴挙と言わざるを得ない」と反発。その後、局長は不適切な案件があったということで涙を流して陳謝し、ひとまず一件落着となりました。

ただ、この涙の意味を取り違えている方がいらっしゃいます。
前原氏らは、与党(自民、維新)プロジェクトチームで現在検討しているのに、公の場で国交省の局長が「自ずと結論は決まっている」といった発言をするのはおかしいではないかと当然の主張をしているのです。

それに対してこの局長は涙ながらに陳謝して、世間では公開処刑だ等と非難の声が上がりましたが、この涙は前原氏らに対する涙というよりは、”これまでの現行計画(小浜・京都ルート)どおりにお膳立てできてたのに台無しにして申し訳ない”という省内に対してのものでしょう。
私は行政に携わった経験からそう理解しました。

今回のこのやり取りの中で、少し大げさに聞こえるかもしれませんが、私には日本の政治に内在する課題が見えた気がしています。
一般に行政は事業を進めるにあたり、それが大きければ大きいほどより慎重に政治関係者らにおぜん立てをし順序立てて進めるものです。

例えば今回のように、国交省の職員は行政の継続性の観点(もしくは省益)から徹底した根回しをして一度与党(当時:自民、公明)で正式決定して頂いたのだから、小浜・京都ルートで進めるという前提で動きます。そして外堀を十分に埋めた上で最終的には政治家が判断しやすい環境を整えて成就という流れでいくわけですが、今回のような失言でちゃぶ台返しになりかねないとなると局長は省内に対して立つ瀬がなくなりますので、そのことへの後悔であることは容易に想像できます。

まさにここに、私は「行政主導の政治」の弊害を感じざるを得ません。
現状、与党(自民、維新)でプロジェクトチームを作ってあたかも政治主導で取り組んでいるように見えますが、あの局長の発言を聞けば、未だにグリップは国交省が握っているも同然でしょう。

もちろん、行政主導でうまく機能している案件であれば問題ありませんが、こちらの方がより望ましいのではないかという対案がある今回のような場合は話は別ですし、それこそ政治家主導で決めるべきです。
その意味で、今回の前原氏らの抗議は少なからずそこに風穴を開けることができたのではないかと、私は評価しています。

要は、その局長は「B/Cだけで決まるなら政治はいらない」と政治家を操れるかのような発言もしている訳ですからそれを逆手にとって、下記のような公開されている資料を踏まえ、政治家(政党)が徹底的に調査研究し最後は行政の意向に捉われずに広く国民目線に立った上で、自らの責任で決断をするという、政治家主導引いては国民主導の政治に変えていかなければならないと痛切に感じます。
リニアの開通も控えているのですから尚更です。
賢明な判断を期待したいと思います。

これに限らず、今後人口が減少する我が国において何が最善か、そんな視点からの様々な事業の見直しや改革の論議はこれから益々避けて通れなくなります(大山ハッピーロードの件もそうでしょう)。
その意味で、政治が決断しなければならない案件はより増えていくことが想定されます。

「行政主導から政治家主導引いては国民主導の政治へ」
私は引き続きしがらみに捉われない立場で「日本のグレートリフォーム」を訴えて参ります。

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