京都時代祭りと足利氏ゆかりの会

京都時代祭り
10月22日23日、8市町54団体が加盟している足利氏ゆかりの会の総会等が京都府亀岡市で行われました。

それに先立ち、京都時代祭りも視察しました。
この時代祭りは、明治28年平安遷都1100年を記念して平安神宮が創建されたのに合わせて始まったとのことです。
行列は新しい順にそれぞれの時代時代に合わせて、その当時に活躍した人物が登場して練り歩きます。

しかし、です。
驚いたことに、「坂本竜馬」だとか「豊臣秀吉」だとかそれぞれの時代ごとに固有名詞でそれに扮した人物が登場しているのですが、室町時代だけは足利尊氏といった固有名詞ではなく、なんと「足利将軍」となっているのです。

これはさすがに頂けません。

話を承ると、実は最近まで室町時代そのものが時代祭りには参加できなかったとのことでした。
どうも、戦前の軍国教育で足利尊氏は逆賊と教えていた悪しき影響が未だに尾を引いているようです。

南北朝時代、尊氏は北朝に組し正成は南朝方に組した形で対立が生じたのはご承知の通りです。
そして曲折を経て最終的には、天皇家は北朝が引き継ぐことになりました。
つまり、そこに至るまでの過程で、尊氏は後醍醐天皇と縁を深めた時期もあれば対立した時期もあり、最終的には尊氏が支えた北朝が戦に勝利を収めたということです。
それでも、足利尊氏は後醍醐天皇から尊という字を賜ったこともありましたし(歴史上天皇から名前を賜った唯一の武将)、最終的には、後醍醐天皇を弔うために天竜寺を創建してもいるのです。
このことからみても尊氏は逆賊という評価はあたっていません。

その意味では、皇居のお堀端に北朝ではなく南朝方だった楠木正成の像があること自体がおかしいのです。
これは明治政府によって歴史が恣意的にゆがめられていまったところに原因があり、以来そうした植え付けられた偏見が尊氏の評価を大きく下げてしまったところがあります。

足利氏ゆかりの会会長としてこれは大変遺憾なことです。

もっと歴史を正しく見つめていただきたいと思いますし、武家政権としての幕府を開いた3人の武将の内のひとりに名を連ねている足利尊氏及びその一族を顕彰するためにも、我々の果たすべき役割はあると痛切に感じます。

そうした視点に立って、今後とも「足利氏ゆかりの会」として、様々な働きかけをしていきたいと思います。