過日、木村半兵衛顕彰会の設立十周年記念式典に参加してきました。
木村半兵衛家は、小俣で織物買継商を営んでいた豪商で、特に三代目と四代目が、明治時代に、足利市に大きな足跡を残しました。
三代目は、旧小俣村戸長(村長)で、鑁阿寺への太鼓橋の寄進をはじめ、小俣小学校の創立のため私財を投じ、さらに第四十一国立銀行の頭取に就任し、当時の紙幣にも肖像画が描かれております。また第一回栃木県議会に推薦され県議会議員や栃木県初等教育行政に関する学区取締役(教育長)にも就任されています。
四代目は、下野新聞の礎となる足利新報の発刊や織物の粗製濫造を防止するため足利物産取扱所を設立し頭取を務め、さらには栃木県議会議長や衆議院議員も歴任されています。
そして、三代目、四代目の尽力によって、両毛鉄道(JR両毛線)が開通し、両毛経済界の隆盛をもたらしました。
フランス語に、ノブレス・オブリージュという言葉があります。「高い地位にある者は、その分、大きな義務を負う」と訳されますが、明治の時代に、三代目、四代目はまさにそのような崇高な志を実践されていたということでしょう。
そうした方だからこそ、100年の時を経ても尚、ここ10年に渡って和田雅雄会長をはじめ地元の有志の方々が顕彰する活動を続けてこられたのだと思います。
足利には、他にも、文人画家で明治維新の動乱期に足利を戦火から守ったことでも知られる田崎草雲を顕彰する画聖草雲会や、日本整形外科の父と評される田代義徳博士顕彰会などもあり、歴史の街にふさわしい偉人が市民によって顕彰されています。
私には全く及びもつきませんが、そうした方々を通して、自らを省みると同時に、改めて大事なことを学ばせて頂いています。