維新の志士が 足利市へも

最近、高杉晋作が足利学校を訪れていたということを知りました。

時は1860年。ちょうど日光から信州に向かう途中で寄られたようで、9月13日には足利に一日中滞在しています。

彼が書き残した道中の日記『試撃行日譜(しげきこうにっぷ)』には、日光を出発して壬生で試合をするところまでは詳細に記されていますが、その後は記述が急に簡略になっています。どうやら、壬生の松本道場で不本意な負け方をしたということがそこから伺えます。

また彼の師匠である吉田松陰(よしだしょういん)も1852年4月3日に足利学校に来ています。彼は、現在国宝に指定されている『尚書正義』に特に関心を示していたようです。

ちなみにこの尚書正義は、孔子が編定したといわれ、『尚書』は『書経』ともいい、五経のひとつで中国伝説時代の虞(ぐ)夏(か)商(しょう)から周(しゅう)の時代の政道を記したもので、室町時代に足利学校中興の祖、関東管領・上杉憲実(のりざね)が寄進しています。

松蔭が長州の萩で、かの有名な松下村塾(しょうかそんじゅく)を継いだのが1857年28歳の時ですから、松蔭時代の塾は足利学校の影響を色濃く受けていたのではないか、という想像が自然と湧いてきます。

江戸末期から明治初期にかけての激動の時代を駆け抜け、維新の大事業を成し遂げた松下村塾の塾生が、実は足利学校の教えを受け継いでいたのでは、としますとなんだかわくわくしますし、また誇らしくもあります。

ちなみに明治時代となって以降も、時代を牽引した東郷平八郎(とうごうへいはちろう)、乃木希典(のぎまれすけ)、渋沢栄一(しぶさわえいいち)、大隈重信(おおくましげのぶ)、新渡戸稲造(にとべいなぞう)らが足利学校を訪れています。

中世以来、数々の学徒を世に送り出し、また多くの訪問客を受入れ日本の歴史にその名を轟かせてきた足利学校。その訪問者を見るだけでも日本の歴史の一端が垣間見られ、とても楽しい思いがしてきます。

また足利学校を訪れたくなってきました。

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