学校教育に論語素読の導入を

子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、

子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人

【訳】

子貢(しこう)問うて曰(いわ)く、「一言(いちげん)にしてもって終身(しゅうしん)これを行なうべきものありや」と。

子曰(のたまわ)く、「それ恕(じょ)か。己(おのれ)の欲(ほっ)せざるところ、人に施(ほどこ)すことなかれ」と。

これは、論語の『衛霊公(えいれいこう)』に記されている孔子(こうし)とその弟子の子貢(しこう)との会話です。
要約しますと、子貢が「一生を通じて守らなければならないものをひとことで表すと?」と問うと、孔子は「それは『恕(じょ)』だ。自分が望まないことは、他人も望まないことであるから、他人に向かって行ってはいけない」と応じた、という意味になります。

『恕』という言葉は、国語辞典をひも解くと「他人の立場や心情を察すること」とあります。

過日、私は市役所内での市長就任あいさつで「利他の精神を尊べる社会というものを築き上げていこう」と呼びかけました。これは、天台宗の忘己利他(もうこりた)から取った言葉ですが、横文字でいえばボランティア精神のことで、論語でいえばまさに『恕』ということになります。

人であれ、自治体であれ、国家であれ、成熟したものは「今さえよければいい、自分さえよければいい」という利己的な発想ではなく、「他者への配慮やいたわり」という気持ちが自然と表れてくるものです。

あの戊辰(ぼしん)戦争時の長岡藩の『米百俵』に象徴されるとおり、足利市も厳しい時代だからこそ、『利他の精神』というものを社会の総意として広く醸成(じょうせい)していきたいものです。

足利市には、かつて友愛義団という日本のボランティア団体のさきがけともいえる奉仕団体があり、幼児教育や英語教育機関の創設など足利市への貢献は多大なものがありました。

そうした伝統を今に生かし、子どもたちの道徳心を涵養(かんよう)していくためにも、私は足利学校の背骨ともいえる論語、特に論語の素読の学校教育への導入を一層推し進めていきたいと考えています。

コメント

足利市の北に位置する中学2年の者です。

毎日、朝の会で論語を読むので楽しく覚えられます!
「子曰く 学びて時に之を習う また喜ばしからずや」とか好きです。

また、ミスト扇風機の導入もありがとうございます!
暑い夏にぴったりです。

これからも、市民のための政治を頑張ってください。
応援してます!

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