« | »

おわりに(2005年)

子や孫にツケを残さないために
ご承知の通り、一昨年足利銀行が破綻しました。
申し上げるまでもなく政治の要諦は「国民の生命と財産を守ること」であるということを前提にすれば、栃木県最大のシェアを誇るガリバー地銀の一時国有化というこの大問題に無関心でいるわけにはいきません。
足銀自身が債務超過に陥ったことによって、建前としては足銀自ら預金保険法102条の1項3号の適用を国に申請したということになっていますが、実質国家権力に踏み潰されたに等しいと私は思っています。
つまり、3月期決算と9月期決算とで、全く一貫性のない繰越税資産の扱いをした監査法人を監督しているのは、まさに金融庁であるということ。そして足銀と同じように債務超過であった(可能性が極めて高い)にもかかわらずりそな銀行は守り、足銀は破綻させるといういいかげんさ。また、同時期に同趣旨で資本増強のために協力を募った優先株は守らず劣後債は全額守るというあいまいさに対して、怒りすら覚えています。
栃木県内には、同様に憤りを感じている県民が大勢います。報道によると訴訟すらも辞さない構えの人もいるようです。心情は十分に理解できます。
私が、今回の足銀の件で何にもっとも憤りを感じているかといえば、要するに国の対応がフェアでないということに対してなのです。ちょうど学校で同じいたずらをした生徒2人に対して、ひとりは廊下に立たせ、ひとりは退学させたようなものです。不公正との批判は免れません。
法治国家においてこれを許容していたら、将来にわたって大変に大きな禍根を残すことになります。長い目で見れば間違いなく大きなコストを払うことになるでしょう。そしてその負担は、期せずして我々の子々孫々に跳ね返っていくことになるのです。
また、今回の足銀の破綻によって、もうひとつガバナンス(企業統治)がいかに機能していないかということが明らかとなりました。
ガバナンスとは、直訳すれば企業統治と訳されていますが、これは要するに「会社は誰のためにあるのか?」「経営のチェックは誰の手によって行われるのか?」こうした疑問をとことんまで突き詰めると、結局、経営者の独断を許さず,一方で目先の利益のみを追求しがちな株主の専横を押さえ,従業員には公正な競争の場と雇用の機会を与えるという答えが出てきます。このことを一般にガナバンス(コーポレートガバナンス)といっています。
このガバナンスに関与できるのは今回の場合、役員、経営諮問委員会の委員(帳簿閲覧権さえあった)そして株主の3者です。
しかしながら残念なことに、3者とも破綻するかもしれないという危機感は、最後まで感じられずどうせりそなと同じだろうという勝手読みで自分自身を納得させて、どっぷりとぬるま湯体質につかり続けているようでもありました。
足利発祥の足利銀行がなくなることの一抹の寂しさを感じますが、足利市が足銀と同じ道を歩むことがないように、速やかに足利市のガバナンスを強化して、健全な姿にしていかなければなりません。そのガバナンスをするのは、政治家であり、その政治家を選ぶ有権者の皆様ということになります。
ともあれ足利という北関東の地方都市に住む私の小さな取り組みが、大河に至るはじめの一滴となって、行く末は渡良瀬川から太平洋に流れ込み、一筋の大きな海道になることを確信し、ひとまず文章を締めさせていただきます。
平成17年2月28日 大豆生田みのる

関連エントリ:

    関連エントリは見つかりません

コメント

コメントはありません

Comment feed

コメントする





承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください(^_^)。また誠に恐縮ですが、コメント全てにお応えをすることができませんが全て拝読いたしますのであしからずよろしくお願い申し上げます。

*