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知ることは為すこと(2001年)

知ることは成すこと
21世紀の最初の年である2001年9月11日は人類の歴史に永遠に刻まれる日となりました。言うまでもなく、米国がテロによって多数の犠牲者を出した日です。改めて心から哀悼の意を表します。
それにしてもその衝撃度において先のテロ事件は群を抜いたものでした。これほどの大事件ともなると各種メディアを通じておびただしい量の言説が流されます。
しかし、逆にこれほどの大事件は、事が巨大なだけに、イメージやムードに流されて本質的な点が意外と見落とされやすいものです。
従って、今の時点でメディアの伝える情報とは違った観点から、この事件を振り返っておきたいと思います。
そこでまず申し上げたいのは、今回のテロへの対応として国会では泥縄式に自衛隊法を改定するとか、元来制空権などないタリバン政権に対して制空権確保が主目的のイージス艦を(米国にいわれるままに)派遣しようとするなどの議論がなされてきましたが、これはかなり的外れな対応と言えます。
安直な「国際貢献」などに踊らされずに、このような時こそ、物事の本質をよく見抜くことが何より重要です。テロは、相手に動揺を与えることが目的なので、テロによってあたふたと動揺していたらまさにテロリストの思う壺になるからです。
つまり、わが国としては、そうしたことよりはむしろ貧困飢餓の撲滅、教育・医療の普及、人口問題の解決、地球環境の保全といった観点に立って、途上国への有効な援助の検証と見直しを行い、テロの要因となる問題の解決に向け、国連などと連携をとりながら国際的な役割を積極的に果たすことが何より大事なことと思います。
こうしたことをさておき、田中真紀子氏がどうのこうのと言っている場合ではないのです。
そしてまた、テロに対してできるだけ具体的な想定をして危機管理をすることが必要不可欠です。仮に(あってはならない話ですが)東京で外国からのテロがあった場合に日本として具体的にどのように対応するのか。その場合、現在の憲法をはじめとした法制下で、対処可能なのか。安保条約に基づく米国の支援体制は?など全ての面からシュミレーションをしておく必要があります。
起きてからでは遅いのです。しかし、驚いたことに現職の国会議員でさえ、そうした想定を無視ないし軽視している向きがあります。それこそまさに危ない話だと言わざるをえません。
本稿のタイトルの「知ることは成すこと」というのはソクラテスの言葉ですが、我が国、とりわけ我が国のリーダーたる政治家にとっては、まずは世界で起こっていること及びその背景には一体何があるのかを正確に知ることから始めるべきと思います。
今風にいえば情報リテラシィの強化ということです。これは地方政治についても同じことがいえます。そうすれば、成すべきことも自然に浮かび上がってくるはずです。そうした曇りのない高い見識を持ったリーダーを選ぶことが、まさに本当の「選挙」であり、「政治」であるはずなのです。

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