Home > 7月 11th, 2009

童門冬二さん講演

「日本人の知の遺産 足利学校」と題して作家の童門冬二さんにご講演をいただいた。
足利学校付近は、中世以降一種の聖地(サンクチュアリ)であったのではないかという童門さんのご指摘はなるほどと思えるところがあった。
実際、鎌倉時代の建造物が関東地方で残っているのは足利市しかない(つまり足利市は鎌倉以降、戦乱の影響をほとんど受けていないということになる)。
確かに、戦国時代上杉謙信が関東管領となって関東平野に足を踏み入れた時も、小俣の鶏足寺や佐野の唐沢山そして大平山付近には攻め込んでいるが、足利学校やばんな寺にはそうはしていない。また、北条氏の覇権が及んだ時も足利学校は保護されている。
また、”足利学校は足利義兼の創建ではないか”という持論を語っておられたが、私もそう思う。それに関連して足利市教育委員会では未解明のばんな寺の古文書などを現在調査しているので、そこから新しい発見があるかもしれない。楽しみだ。
さらに、足利学校で教えられていた論語の”恕”も紹介されていた。
これは論語の衛霊公に記されている孔子とその弟子の顔淵との会話だ。私もよく引用することがある。
子貢問曰、有一言而可以終身行之者乎、
子曰、其恕乎、己所不欲、勿施於人
子貢問うて曰く、「一言にしてもって終身これを行なうべきものありや」、
子曰く、「それ恕か、己の欲せざるところは、人に施すなかれ」
要約すると、
子貢が「一生を通じて、守らなければならないものは一言でいうと何か」と問うと、
孔子は「それは恕だ。自分が望まないことは、きっと他人も望まないことであるから、他人に向かって実行してはいけない」と応えた、という意味になる。
これは横文字でいえば、ボランティア精神になるし、仏教(天台宗)で言えば利他の精神ということになる。
この”恕”という言葉は計らずもこの6月議会で私が取り上げた言葉でもある。
いずれにしろ童門さんはこの言葉を好んで使われているようで、とても共感を覚えた。