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足利市は地震に強い地盤

今日の下野新聞に、独立行政法人「防災科学技術研究所」がホームページに「地震ハザードステーション」を公開しているという記事がありました。

そこで早速ホームページを見てみますと、以下のようなJ-SHIS MAP図が表示されていました。
30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率の分布図
これは、30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率の分布図です。

足利市は確率が3%以下です。
いかに地震に強い地盤であるかが伺えます。

そういえば、胡椒などの香辛料で有名なギャバンという会社が、独自の調査で足利市は地震に強い街だと評価し、数年前に他県から移転してきたという話を聞いたことがありますが、まさにそれが裏付けられたことになります。

今後、こうしたデータを踏まえ、「地震に強い街、足利」をひとつの大きな売りにして、企業誘致等に活かしていきたいと思います。

平成24年節分鎧年越

今年も盛大に足利に春を呼ぶ伝統行事『節分鎧年越』(せつぶんよろいとしこし)が行なわれました。
鎌倉時代中期、足利泰氏(あしかがやすうじ=足利氏4代当主で足利尊氏は泰氏の直系子孫、1216~1270年)が坂東武者500騎を鑁阿寺(ばんなじ)南大門に勢揃いさせたという故事にちなんだ足利市の冬を彩る古式豊かな伝統行事です。
江戸後期から明治時代にかけて一時途絶えましたが、大正2年に復活し、現在に至っています。
足利節分鎧年越01

足利節分鎧年越02

足利学校参観者倍増計画キックオフ

本日、足利学校参観者倍増計画のキックオフ式を行いました。

この計画は、平成23年の参観者数約16万人を基点に毎年10%づつ増やして8年後に32万人にしようとするものです。

これから担当職員らと力を合わせ、足利学校のもつポテンシャルを活かしながら鋭意取り組んでまいります。

足利学校参観者倍増計画キックオフ式

宮城県亘理町との「木でつながった絆プロジェクト」に参加して

本日、東日本大震災で被災した宮城県亘理町を訪問しました。
足利庭園文化研究会の皆さんが震災後ボランティアで亘理町に入った際に、明治初期に当時の亘理伊達藩の藩士が北海道に移住することに伴い、藩校日就館の儒学書など973冊を足利学校に寄贈したことを知り(839冊が現存)、その時の恩返しとして、今回クロマツを亘理町長瀞小に寄贈することになったため、私も同行させていただき植樹をしてきました。

町長ともお会いして、震災後の大変な状況を伺いました。
亘理町だけでの被害総額は3300億円。一般会計が約100億円ですから、33年分に相当します。
特に困っているのは、瓦礫類の処分とのことでその量はなんと126万トン。実に亘理町の年間排出量の100年分です。ここにきてようやく焼却炉の設置は決まりましたが、そこから出る灰の処分先は未定とのことです。
やはり溶融炉によるリサイクルも検討すべきではないかと思います。

また、亘理町内の被災地をバスで通過している際に、隣に座った子供に話しかけましたが心なしかおとなしい様子で気のない返事でした。交流会をした吉田中ではオリジナルの曲である「明けない夜はない」を元気よく歌ってくれましたが、彼らの心のキズは我々の想像以上のように思えました。

吉田中に掲示してあったあのナポレオンヒルの言葉が、私にはとても印象に残っており、それに先生達の思いが込められているようにも感じました。
彼らの癒しと鼓舞につながることを願わずにはいられません。

読売新聞20111204記事
毎日新聞記事20111204

足利尊氏公マラソン大会

11月13日に行われた足利尊氏公マラソン大会。
今年も約4900人にご参加いただき成功裡に終えることができました。
足利青年会議所(阿部達也大会実行委員長)の皆様をはじめ大会運営にご協力くださった多くの関係者の皆様、そしてゲストランナー(西田隆維さん、渋井陽子さん)の皆様をはじめご参加いただいたランナーの皆様に心より感謝を申し上げます。
私も3kmなんとか完走しました(^ ^)
足利尊氏公マラソン大会

【続報2】平成11年度、14年度、17年度公金不正支出事件の義憤

10月24日に平成10年度から17年度にかけての毛野土地区画整理事業の不祥事に関する処分を発表して以降、事件発生時、職員を監督する立場にいた市職員OBから市に「現職職員の処分が重すぎるんじゃないか」と頓珍漢な抗議がありました。

まさに「はっ?」です。

一体何なのでしょうか。
この市職員OBには少なくとも監督責任はあるのですから、もっと当事者意識をもってしかるべきです。当然ですが、これを聞いた市職員は内心強烈に怒っていますし、私も同様に義憤を感じます。

それに比べて、本事件が発覚するきっかけとなった防災行政無線に係る1職員の不祥事に関して、前消防長をはじめ退職した消防職員OBが監督責任を感じ、その損失補填をすべく自ら申し出て来られた潔さが輝いてみえます。

そもそも、「私は知らなかった」「処分が重い」だのと、区画整理事件発生時の市幹部職員OBらが言っていること自体に困惑します。私の市長としての経験からしても、とても知らなかったとは思えませんし、処分の軽重を彼らが論ずる前に、自らの責任を重く感じるべきでしょう。
これではこうした人達に仕えざるを得なかった、今回処分を受けた現職職員があまりにもかわいそうです。

前回記しましたとおり、おかしな話ですが退職した後では事件が発覚しても、制度上遡って彼らをを処分することはできません。
そうした安全圏にいるにもかかわらず、訳のわからないことを言ってくるのでしたら、私は処分を受けた現職の職員のためにも、他の市職員のためにも、言うべきことは言わせて頂きます。

(1)仮にこの一連の事件が時効になっておらず、あなた方が現職で在籍していたら、一体どのような展開になっていたでしょうか。

(2)その上で、道義的な責任の取り方を自ら考えるべきです。

(3)あなた方の後輩の職員は、あなた方の今後の行動を黙って見ています。

朝日新聞記事 20111208

下野新聞記事 20111208

読売新聞記事 20120124

朝日新聞記事 20120126

朝日新聞記事20120301

初の地域後援会、小俣支部発足

この度、私の後援会としては初めてとなる地域支部が発足しました。

ここに至るまで、山崎徳次会長はじめ役員の皆様方に大変お世話になりました。
心より感謝申し上げます。

また自民党足利支部の重鎮であられる石川博康市議にも最高顧問に就任いただき、身に余る応援のお言葉を頂戴しました。
今後ともご指導の程よろしくお願い申し上げます。

これからも、「まずは市民への感謝から」という気持ちで、市民の皆様方の期待に応えるべく足利市の改革と発展に尽力して参ります。

大豆生田みのる後援会総連合会小俣支部

オヤジの会(おやじパトロール子供見守り隊)に参加

8月27日に地域の夜間巡視活動を通じて子供達の健全な育成を目指す目的で、オヤジの会(おやじパトロール子供見守り隊)が発足しました。

背景には、夜11時以降の中学生の深夜徘徊の比率が足利市は県内で一番高いという残念な実情があります。
そうしたことに危機感をもった山辺中地区の保護者の皆様が、この度立ち上がって下さいました。
心から感謝申し上げます。

私も来賓として出席させていただき、その後一緒に自転車でパトロールをしました。
今後とも、市当局や少年補導員の皆さまとも力を合わせて、子ども達の健全育成につなげて頂ければと思います。
何卒よろしくお願い申し上げます。

オヤジの会発足

足利市の放射線検査と食品の安全性

東日本大震災による福島第一原発の事故以来、放射線の値に関して大きな関心が寄せられています。
足利市としても、県と連携しつつ放射線調査に関して様々な取り組みを行っております。
その結果につきましては、随時足利市のホームページで報告していますのでこちらを参照ください。
http://www.city.ashikaga.tochigi.jp/life/1/85/
(足利市では、4月27日に市内で採取された牧草で一度だけ放射性セシウムに関して基準値を超える値が認められましたが、他の全ての項目に関しては基準値を下回っております【6月2日現在】)。

また、消費者庁で「食品と放射能Q&A」が公表されています。
これは国の取り組み姿勢がよくわかる資料となっていますので、是非ご一読されることをお勧め致します。

以上、現時点で少なくとも申し上げられますのは、足利市で提供してます水道水や流通している野菜類・牛乳につきましては、いずれも基準値を大幅に下回っているもしくは検出せずとなっておりますので問題ありません、ということです。
これからも市として適切にそして速やかに検査等の対応して参りますのでよろしくお願い申し上げます。

石巻市で活動しているボランティア団体へ支援物資を提供

「こんなところに車止めてるんじゃねえ!」
ようやく宮城県石巻市役所前に着いたとホッとしたのもつかの間、いきなりドンドンドンと車の窓をたたく音がして、こんなセリフをはかれました。
想定外の洗礼に、一同唖然。
どうやら、県外から来ているボランティアのようでした。
続いて返す刀で停車していた他の車の持ち主にも猛然と抗議し始め、挙句の果てには車のナンバーや顔まで携帯で撮影するあり様で、別に交通渋滞で車がロックされているわけでもなく、どう見ても彼の行動は異常でした。
これが世に言うモンスターボランティアなのか、なんてことを感じながら私の石巻訪問が始まりました。
宮城県石巻市

石巻駅前で、吉村誠司さんという長野県からボランティアでお手伝いに来られている方と待ち合わせて、市役所を訪問。
市長は不在でしたが副市長と面会し、支援物資をお持ちした旨お伝えしました。

市役所の1F部分は、津波に浸食されてめちゃくちゃ。復旧もできない状態。さらには遺体の捜索で、毎日のように新たな遺体が発見されているとのことで、本当に痛ましい限り。

続いて、海水を淡水化する装置が設置してある場所へ。
日本財団の協力により海水を淡水化する装置を積んだ車が2台設置されていました。
そこでは、なみなみと淡水化された水が供給されていましたが、水素殺菌などの処置を講じてないので飲料としては供されてませんが、洗濯物や食器類を洗うのには十分だそうで、住民の方々は随分と重宝されていました。
宮城県石巻市

そして石巻市南境生活センターへ。
現地で活動されているボランティアの皆様に、事前にリクエストのあった支援物資をお渡ししました。

さらに石巻市内で最も被害が甚大だった港地区へ。
宮城県石巻市

津波の直撃を受けた中学校では、新潟県から来たボランティアが現地の方々にラーメンを提供されていました。
「自分たちは中越地震で、多くの方の支援を頂いた。そのご恩返しのために毎週来てラーメンを作っている」
と話されていました。頭が下がります。
宮城県石巻市
その中学校の被災状況はご覧の通り。
宮城県石巻市
宮城県石巻市

また別な学校は火災に見舞われ、周辺は後かたもありません。
宮城県石巻市

一面に住宅があったとは思えません。
宮城県石巻市
まさに言語に絶する状況の連続で、現地を歩けば歩くほど自然は人間の想像力をはるかに凌駕(りょうが)した振る舞いをするということを、再認識させられます。

翻(ひるがえ)って、足利市における甚大な自然災害といえば、渡良瀬川の氾濫(はんらん)につきます。特に中橋の取り付け部分は堤防から2メートル以上も切り下がった状態になっており、渡良瀬川流域で増水時に真っ先に決壊する場所はここであることは誰の目にも明らかです。

これに関して、私は市長としてこれまで何度となく県道である中橋の管理者の栃木県に対し、その架け替えを要望して参りましたが、地元の皆様、市民の皆様方のご理解を得ながら、これまで以上に県に積極的に働きかけていかなければならないと意を強くしています。

今回石巻市で見た光景は、私にはかつてのあのキャサリン台風の爪跡と重なります。災害は忘れたころにやってくるという言葉がありますが、そんな悲劇を繰り返さないために、計画を前倒しできるよう取り組んで参ります。

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